生きて働く場所

週末17日高等学校同期会があった。高校15期、われわれの同期は文集の発行を不定期だが行っている。面倒を見てくれるコアがあり彼らの力である。今回第三冊目が会場で手渡された。そこに寄せた文章を少し長いがブログに再録する。

僕の父方のルーツは栃木県真岡である。僕自身そこがどこであるか判然としていないのだが、幼児のころ一度だけ父と行った記憶がある。たぶん遠い親族との用事があったのであろう。本籍も大分以前 煩雑を避けるため育った国分寺に移した。
関東圏は明治期から人々の移住が急速に始まったのだろう。父のそう遠くない祖先もそのころ東京にでたようだ。多分相続することの無い次男三男であったのではないか。
気がついてみると僕の仕事が一部その栃木に偏在する。老人ホーム、デイサービスセンター、アトリエ、幼稚園、美術館、医院、住宅、別荘など。もちろん一度縁が出来るとそれを手がかりに、と言うことではあるのだが、そうはいかないこともよくあるのだから、何かの縁を感じないことも無いのである。広く明るい関東平野の風景はどこかなじみのいいものとして僕の中にある。
栃木の仕事はそのほとんどが木造である。木造の仕事は大工がきちんと技術を持っていてくれているか、が問われる。栃木ではその大工に恵まれて面白い仕事が出来ている。いわむらかずおという絵本作家の個人美術館もそうした事例だが、それの建つ馬頭は八溝山系の豊かな森林の恵まれてもいた。用材はここから供給されたのである。

少年期を過ごした多摩地域にはこうした縁はあまり無かったのだが、・・・とは言いながら高校同期の友人の家を数件設計させていただいてもいるのだが・・・ここに来て様子があれこれとかかわりつつある。
東村山でまとまった住宅団地の計画が進んでいる。東京都営住宅建て替えによって余剰となった土地利用の計画である。「実証実験」と称し、ローコストで性能のいい住まいの供給、をスローガンに都がコンペティションを行ったが、そこで選ばれ目下建設が進んでいる。坪あたり50万での計画で太陽熱利用の換気と暖房の仕組みのついた間取りの改変が自由な住まいが一年半ほどの間に25棟建設される。ここでも東京都の多摩地域の木材が使われている。工務店の強い意向にも拠るのだが地域の材で作ることが地域の森を活性化するばかりか石油を使い運ばれる外材に比しCO2発生の大幅な削減にもなる。選ばれた4チームの中に僕が最初に勤務した事務所の先輩の事務所もあり、良き競合となっている。
目下最大のプロジェクトは立川市庁舎である。立川市庁舎の計画者に選定されたのは一昨年の暮れである。目下実施設計の最中だが、6ヶ月近くをかけたコンペティションで200近い応募案から市民を交えた公開の審査で選定された。同期で山下設計社長の横山君との協同である。これはまさに母校立川高校のお膝元のプロジェクトであり、現市長は大先輩ということもあり、選定されたときの驚きはなんともいえないものがあった。市民の意識も高く回を重ねるワークショップ、運営の会議の中で、立川市の様々な姿の感じながら地域を知ることと設計の作業を応答させている。設計の前段の構想の策定に始まり、コンペ、設計、施工者選定、などすべてのプロセスが参加、公開で行われる画期的なプロジェクトであり、立川の市民の自治への参加意識の高さの結果である。工事を含めるとまだまだ数年を要する計画だが、縁のある地で機会を得たことを喜びながら仕事を進めている。アトリエと呼ばれる小さな設計事務所を営みながらここまで来たが一方で大事務所の責任者となった高校の同輩との協同が良き成果となることを信じている。

僕はいつの間にか環境について興味を持つ建築家、と言うことになっている。そうした建築について調べたり見学したりする機会もある。山越邦彦という建築家の名前も70年以上前に建った環境実験住宅である彼の自邸ドーモディナミカについても30年以上以前から知っていたと思う。
住む人が不在となったことによりそれが取り壊されることとなり、昨年春、調査のメンバーに誘われた時に僕は資料に拠る以外それが三鷹にあることすら知らなかった。訪れて踏み入れたそこで見覚えのあるアルバムに出会った。高校15期、僕の家にあるのと同じ濃緑の表紙。持ち主の悠子さんが亡くなられたのはその先年の夏と聞いた。偶然に驚愕した。三年間学び舎を共にしながらクラスが異なることなどから面識が無かったのだが、何かの偶然があったとしたら、と考えたりした。ドーモディナミカは予想通りの先駆的住宅であった。
悠子さんは、遠い親族の方により新たにしつらえられた墓地にご両親と共に眠っておられる。納骨のおりには僕も参列した。冥福を祈りながらこの偶然について考えた。
山越邦彦研究会と称する会は昨秋第一回の研究成果をまとめた。今後出版、展覧会、シンポジウムを企画している。
最後にあらためて悠子さんのご冥福を祈りたい。