「環境技術が生み出すデザインの可能性」(建築とまちづくり2007年8月号掲載)

建築が探す回答は問題を発見するときに既に用意されていると考えることができるのではないか。様々な課題が様々な形で回答を得る。それを喜びそれの拠る何らかの利便、充実、快適を享受する、建築に限らず近代以降の技術革新とは技術革新それ自身を裏の主題とし独創を求める様々な分野の成果となる。醍醐味と快楽はそこにあった。
テクノロジーの分野では解決が叶わない問題は当面問題として浮上しないのだ。言い換えれば解決可能でしかし未だ発見されることがない問題の発見こそが近代を作って来たと考えることができる。それには見事な答えが存在するからである。そして18世紀以降の技術的問題の発見とその答えは素材、工法、構造、生産それらの進化、精密化、標準化に寄り添って行われたといえるのではないかと思う。鋳鉄が鋼に至る間、どれほどの大きな進化があったか。アイアンブリッジの径間は60メートル、明石大橋のそれは2000メートルである。そしてこれら進化が往々新たな問題を内包していることも当然のこととしてあり、進化が見せる新たな世界はまだ見ぬ難問を抱える世界として現れる。こうした進化、そしてそれによる問題の発見解決を繰り返しながらここにいたる。解決の見えない問題は霧のような不安と予測を抱かせる。それを気にしながらもそれを直接の問題とすることができない、温暖化についての様々な予測を正面から受け入れることができないのもそれに起因する。不安と予測と伴走しながら技術は解決を求めていくのだろう。横道のそれるが放射性廃棄物の処理をめぐる問題ははそうしたものの最大のものであると考えるべきではないか。

もちろん、ここ100年、建築の設備の分野での進化が建築そのものを変化させてきた事実も公平に評価されるべきものである。しかしいわゆる「設備」的主題を深化させそれを環境についての問題と答えに重ね合わせる事はかなり厄介な様相を呈する。設備技術というフィールドが環境にかかわる今日的諸問題とその回答とを積極的に応答させ利便、充実、快適を掌の上で楽しげに試みることはなかなか難しい宿題であったといっていいのではないか。アクティブな技術としての設備にとって、後に回さざるを得ない問題であったのだろう。日々変わる気候、ささやかなものでしかない自然エネルギーこれ等を取り扱うこと、そして五感にかかる温熱、これらは人それぞれの体験にも拠る実に不確定なものと考えることができる。重力を扱うほど簡単ではないことは想像に易い、そのため設備は長期それに触れずにいた。大まかで荒っぽい幾分大きめの回答を是とせざるを得ないものであったと考えていいのではないかと思う。
ただそうは言ってもこの分野の進化が建築を大きく変化させてきたことはいうまでもない。20世紀後半の建築の進化は設備の進展によっていることは改めていうまでもないだろう。鉄とガラスが20世紀建築を作ったとの口吻を借りればむしろキャリア等による冷凍機の発明と開発の歴史こそが現代の建築の姿の何よりの根拠であるということができよう。
冷凍機、ボイラーによる空気調和技術が建築の姿を規定した後の今日において、サステイナブルデザインが言われエネルギー使用量の削減が求められる。そんな中、建築は再度その姿を劇的に変える可能性を持っていると考えていいだろう。ほぼ20年ほど以前、パーソナルコンピュータが身近になったころ、不安と予測と伴走しながら、新しい環境技術の萌芽は確実に表れ、成長の度合いを急にしながら今日に至っている。特にこれに敏感な北ヨーロッパを旅すると太陽電池や風力発電風車が訪れるたびごとに数を増し以前とまったく異なる景観を見せる。われわれの周辺においても住宅の断熱気密性能の向上など性能についての前提の変化は著しい。技術は様々に試みられる。しかし不安と予測を無いものとしたいという欲求は静かにそこに沈殿しているようにも見える。未だ胸を張って問題を問題とするための答えは社会の側にも技術の側にも用意できていないのだろう。この問題をもっと精妙に解く新しい独創のエンジニア、独創の思想の登場が待たれる。
またここには問題を問題として合意する社会または制度の参加が必須であることも当然ある。社会、制度、産業は昨日とのつながりに縛りを受ける、このままでいいのではないか、そう考え勝ちなのだ。技術は問題解決を誘導する社会的合意の生成を待っているのかもしれない。新しい思考の登場こそが求められるのかもしれない。

今日の社会の様々な活動分野はそのすべてにわたりその劇的で決定的な負荷の軽減が求められている。建築はそのエネルギー使用量、負荷を建設時、使用時、解体時にわたり削減したい、との要請にいま確実に答える技術分野での方法を持つのだろうか。建築が資源多消費なものであることから劇的に脱することはないだろう。建築は重たいものであることを条件付けられているのではないか。少しでも資源量を減らしたい、これはわれわれの工夫の分野、工学的テーマへの要請である。と同時にむしろ制度的社会的テーマへの要請としての側面が極めて大きく社会的合意が求められる主題であることはすぐにわかるだろう。
建築は制度習慣の中その姿を現す。そこに着目すれば新築時および解体時の資源使用量を減ずることは可能である。建てない、壊さない、これが最善の処方ということになる。50年で破壊を100年、150年とする、これが何よりの答えとなる。これにより資源使用は二分の一、三分の一に削減する。大幅に直しながら補強しながら使う。以前からオランダのハブラーケン等により提唱されている「オープンビルディング」の思想、実線がこれに沿う。サポートとインフィルを分離、サポートを長寿命のものと認識するのだ。
この方策が作り出す景観、建築の姿はすでに存在する。ドイツ、ライネフェルデでの団地の再生は減築を伴うマスタープランにより住棟を削減、再設計し、新たな環境を創出している。ここでは既存のパネル住宅団地の存在を前提としながら勇気のある新しいコミュニテイのイメージを社会学的根拠を持って提示している。ここでの様々な試みは新築でないが故の新しい再生技術を生み出し、専門家に拠る技術的分野としての独創も極めて興味深いものがある。もちろんここでの再生設計の中で住棟,住戸レベルの維持管理の負荷軽減と快適性の確保もたくみに計画されている。
国内でも近角さんの80年を経た武田五一設計のドミトリーをコーポラティブハウスに改修し躯体のライフを150年ほどに延ばした求道学舎の改修プロジェクト、圓山さんの40年ほど経ち,少子化により不要となった中学校を補強改修一部新築し単科大学に甦らせた改修プロジェクトなど、社会、習慣、制度と格闘しながらの合意も現れつつある。
環境の時代 サステイナブルデザインは少しずつ社会に現れ、人々がそれを快適なものと知り、引き受ける度量を持ち、進んで選択することが普通のことになる、それはまもなくのことかもしれない。技術はその時代と併走しつつ進化することとなる。

昨年来、東村山の旧都営住宅敷地において「東村山市本町地区プロジェクト」という 都が企画した戸建て住宅団地の建設が進んでいる。都有地を75年の定期借地として貸し出し戸建ての町を作る計画である。この企画は当初から公募プロポーザル方式で行われ、そのうち建設総数の一部100戸が「実証実験」という括りで「高品質と低コストの両立」を計画の骨子とするプロジェクトとして公募された。私は友人の建築家、地域工務店と組み、このプロポーザルへ参加し、坪当たり50万、戸あたりの延べ床面積40坪の条件を前提に、今日求められる性能をいかに計画に盛り込むか激論を交わしながら計画をまとめた。もちろん得意とする自然エネルギーによる暖房換気システムの搭載されたものとしてである。結果としてここでは通常われわれの前にすべてが明らかにされることのない部分、原価にも踏み込むことになった。それとの格闘が最大の懸案であったからである。様々な工夫は価格の合理に向かう工夫であった。
われわれはこの試みの中で巧まずして様々な過去の努力に触れることになった。徹底した性能追及は結果、先ほどのハブラーケンの提唱するオープンハウジングに接近したのだ。軸組みの検証は室内にまったく構造壁ない架構を思いつかせた。中央に一本の柱があるのみの軸組みである。プランの単純化は結果として基礎の単純化、床などの工事の能率化を呼び寄せ、サポートとしての躯体は断熱気密などシェルターとしての性能を問題なく作り出す。風呂、台所、便所の配置もまったく自由でありその他インフィルは床、外壁の整ったのちの施工となる。しかもこれらインフィルの改変更新はまったく自由である。長寿命な躯体は様々な生活の変化に自在に対応するインフィルの仕組み、その可変性によって使い続けられるであろう。われわれはこの応募案を「木造ドミノ」と名づけ応募し採用された。
建設の現場では既に三期にわたり8棟が竣工、または竣工を控えている。一年後には当初予定の25棟のソーラービレッジが現れるはずだ。期ごとに少しずつの改良を検討し現場にそれを反映させ工事は行われているが、様々に初期の構想を越えた成果が現れている。ここに来て大工自身の工夫もあり人工が一般に言われるものの約半分、約70人工ですべての大工の仕事、家具までもができている。建て方までの人工も通常の二分の一である。間仕切壁がないことがいかに施工効率を上げるか、この結果は関係した人々の正直な驚きをもって迎えられている。工期ごとに様々な工夫がそれを支えて、確実な技術としてここにオープンビルディングシステムが存在することが確認されている。決して品質を下げず自然エネルギー利用をも搭載しこの価格と品質、そして将来の可変性までを視野に入れた「木造ドミノ」の更なる展開をこれからも考えて行きたいと思う。
テクノロジーの話に戻ろう。通常の前提の中で、既存の通念としてわれわれの中にあるもの、それについて意図的に考えることが実はとても難しい。われわれの頭の中では在来木造はコストを含め、いつまでも在来木造としてある。前提をさかのぼることをわれわれはなかなかしないのだ。しかしそれ無しには新しい答えは現れないのではないか。「木造ドミノ」はそれに踏み込んだと感じている。

先日、新聞にマグナス効果を応用の風力発電風車の開発者が紹介されていた。マグナス効果とは辞書によると
「球形の弾丸が飛翔中に曲がる現象に対しての説明として、1852年にドイツの科学者ハインリッヒ・グスタフ・マグヌスによってはじめて認識された。」もので「円柱または球が回転しながら,粘性を有する流体中を一定速度で移動または一様流中に置かれた場合、円柱または球表 面に接する流体が粘性によって回転運動に引きずられ、回転速度及び粘性に相応する循環Γ が周りに発生し、移動方向または一様流に対して垂直の力(揚力)が発生する。今、2次元ポテンシャル流れを考えると、一定速度または一様流速度をU,流体の密度をρ とすれば、発生する力L は次式で得られる。L = ρUΓ上式は2次元ポテンシャルにおいて、循環 Γ を有する翼に生ずる揚力の式と一致する。この式はクッタ・ジューコフスキーの定理と呼ばれる。」
とのことであった。少し難しいが、野球のボールがカーブする理屈だという。19世紀半ばという時代にはそうした発明、開発、独創が実に多彩に存在する。この時代のこれ等知的興味の目覚しい展開については、以前からいろいろと驚かされるがマグナス効果もそのひとつということだ。この風車の開発者のように、こうした原理、つまり一から考えること、思考を源流までさかのぼることが新しい知の鉱脈の発見につながるのかも知れないと思う。
いうまでも無いが、今後のエネルギーを支えるといわれる燃料電池も19世紀半ばの発明が今日になって再発見されたものだ。辞書は「燃料電池の歴史は古く、1839年にはイギリス のグローブが白金を電極、希硫酸を電解質としたグローブ電池により、水素と酸素から電気を取り出す燃料電池の原理を発明している。その後、長らく忘れられた技術であったが、」としている。決して考えることをあきらめなかったカナダ人バラード兄弟はこれの実用に火をつけたのである。
地球環境を再度19世紀以前の健全なものに再生すること、これはただならない努力が必要だろう。COP3、京都議定書の言う温暖化ガスの2010年の6パーセント削減というわが国の約束は今日までの上昇分8パーセントを加えると14パーセント、一週間のうち一日をまったく活動するな、という削減量である。このことを社会が重く考え受け入れることそして行動すること、技術が様々にそれに向けた開発を促進し期待にこたえること、それだけがわれわれのできることであり、そこに市民として、職能人としての充実もあるのではないかと考えるのだ。