Well-tempered-Enviornmentを目指す―エンジニアの役割_建築雑誌2019年4月号

建築雑誌2019年4月号に野沢が「Well-tempered-Enviornmentを目指す―エンジニアの役割」というタイトルで寄稿しています。

 

 

 

建築はテクノロジーの産物でありそれを支えるサイエンスの産物である。テクノロジーは数学演算を根拠とするが進化を遂げたとはいえ未だ完璧ではない。合理を背後に持つ「直観」だけがそれを補う。マスタービルダーといわれたエンジニア建築家はこの「直観」が優れていた。「直観」はおのずから「かたより」を持つ。多岐の可能性があるはずのなか、一つの合理だけを選択するからだ。この「かたより」こそ個性であり、いかに演算が精緻になるとも「かたより」は存在する。よって個性は存在するはずである。そうでなくては実につまらない。

20世紀の半ば頃か、複雑な検討がそれなりに可能になった演算黎明期、建築家エンジニアが計画のすべてをひとり担うことが不可能になる。協働が本格化する。構造分野がもっとも演算を必要とした領域であったし、エンジニアたちの実験検証を伴う実証が成し遂げた成果は極めて大きなものとなる。橋は落ちなくなり長大になり、建築は高層化した。彼らの興奮はいかばかりであったろう。

リューベトキンとアラップの協働が成果を上げたころのことを私は思いだしている。二人は私の偏愛するエンジニアであり建築家である。彼らの最初の協働はロンドン動物園のゴリラ舎(1932)であったが、何より協働が実をあげたのは同じ動物園のペンギンプール(1933)であろう。これは建築なのか、屋根はない、それはさておきこのプールの最大の特徴である円を描き交差する二つのスロープ、このアイディアは何より面白い。二人はやりあったに違いないしアラップはエンジニアとしての知見を駆使し工夫の術を尽くしたに違いない。リューベトキンもしかり、二人は挑発しあったのではないか。コンクリートを打設する前の配筋のわかる写真があるが実に興味深い。傑作、ハイポイントアパートメントのリフトアップする型枠もその痕跡であろう。この時のアラップは生粋の構造エンジニアである。

いうまでもなく演算の精度はその後のコンピュータの急速な進化により劇的なものとなる。それは今からたった30-40年、20世紀末からのことであり私たちの時代の出来事である。コンピュータはまず構造解析をより精緻に確実なものとすることに使われることになる。構造エンジニアの仕事はここに至り新しい段階に到達する。アラップの仕事も飛躍的に多彩になり多くの建築家との協働が目を見張る結果を示したことは誰もが知ることである。

その後、彼が土木、設備、環境、など多彩な領域に彼のサービスを広げていったことも実にうなずけることだろう。今日彼に始まるコンサルタント組織、オーヴアラップアアンドパートナーズは世界に一万人を超えるエンジニアを擁し世界17カ国にオフィスを展開、160か国以上で仕事をするまでになっているという。ここで育ち独立し独自に活躍するエンジニアを含めればその力量はより膨大であろう。社会がこの分野に期待するサービスの総量の途方もない大きさの証左である。

環境設備領域の解析の複雑さは構造領域の比ではない。多様な地域ごとのたくさんのファクターの複雑な錯綜、その処理を必要とする。コンピュータの発達による精緻な解析の成果は環境設備領域に新たなサービスを生み、この領域での建築家との協働をより面白いものにしてきてもいる。サービスはより手厚くなった。アラップは当然のこととして環境共生時代のサービスを展開した。1986年刊行の作品集の巻末リストで彼は担う分野を「サービス」としているがそれは環境など20数項目にもわたっている。

 

私もここ30-40年いささか同じようなことを体験した。実に面白い時間であった。奥村昭雄は大学時代の師であり私が学生の当時、彼は愛知県立芸術大学の設計に没頭している人であった。時を経て再び会い友人達と「ソーラー研」なる遊びのように楽しい実験検証活動を経験することになる。ほぼ5年間にわたる活動であった。35年ほど前のことである。中心にはもちろん奥村がいる。彼は吉村事務所時代にあのNCRビルを担当、独自にダブルスキンを考案、オフィスビルのエネルギー使用量の半減を果たした異能の人である。未見の方は是非この建築を学んでほしい。彼が30歳をすこし超えたころの仕事だ。

「ソーラー研」の任務は太陽熱の空気による搬送であり、それによる室温の確保と換気そして給湯であった。奥村はもちろん有能な建築家であったが。稀な能力を持つエンジニアでもあった。ポケコンを手始めに販売され始めたばかりのパソコン、NEC98を駆使し、 自前で独自の言語によるプログラムを作成した。気象データアメダスを利用可能なものに処理、建築の熱性能のプログラムを作成、これらをつなげ実証データとの整合を図ることを難なくやり遂げたのである。実に楽しげに。

当時日本建築学会の委員会ではたしか標準気候表を毎年少しずつ作成していたと記憶するが、この時、奥村はアメダスの処理により一挙に400以上アメダス測点の気象データを利用可能にするのである。演算処理革命の時代の萌芽はここにもあった。複雑で処理の難しい環境分野での快挙である。当時、私は彼と協働で「阿品土谷病院」の設計を行うが、シミュレーションの結果と実際の集熱の整合を見るための実大モデルの制作とその検証に立ち会った折に、写真で見た大きな風洞の前に立つエッフェルの姿に重ねたことを記憶する。「19世紀のヨーロッパに生まれたら実に面白かったであろう」と奥村が言ったことがあった。テクノロジーとエンジニアリング。合理の時代への共感と信頼であったのだろう。モダニズム建築の全く新しい相貌はこれを根拠に生まれたのであろう。ソーラー研の作業はその後発展し、OMソーラー協会という工務店連合を作り上げ環境性能を軸に活動を続け、今日に至るまでさまざまな住宅改革を成し遂げて来た。私もその中で今も工夫をともにしている。

髙間三郎は大高建築設計事務所以来の畏友である。彼は井上宇市門下であり大高建築設計事務所に入所する。彼との協業は半世紀近くにわたる。先の「阿品土谷病院」でも深く関わった。建築がわかる、建築に口を出す「かたより」=個性のある環境設計者、エンジニアである。私は設備に口を出す「かたより」のある建築設計者であるのかもしれない。構造エンジニアには「かたより」のあるタレントは枚挙にいとまがないが、環境設備領域は先ほどの指摘に尽きるが複雑さゆえ、その成熟が遅れたのであろう。

複雑多様なファクターが錯綜する環境設備領域は、演算による答えを精度高いものにすることが、ごく最近まで難しかった。それにより「かたより」さえ難しかったのであろう。考えてみれば合理に基づく「かたより」「個性」とは建築が合理的根拠によることを前提にした新たな独創を求めることであろう。環境設備分野は長くこれに貢献することが少なかった。レイナーバンハムが設備的=環境的「かたより」を手掛かりに著した先駆的予言的名著『環境としての建築(The Architecture of the Well-tempered Environment)』を著すのは1969年である。髙間の存在は稀である。私にとり余人をもって代えることができないのである。

優れた新しい建築の姿は建築家、構造エンジニア、環境設備エンジニア、研究者、その他の建築設計に携わる職能によってのみ開かれるものではない。あたらしい「かたより」を可能とするパーツ、工法、素材の開発が必須である。支える基盤がいかに活発であるかが問われる。今、木構造の技術的進化は著しい。これもコンピュータ以前は解析の難しい領域であった。何も欧州のCLT木造建築の展開に限らない。我が国でもパネリードという新しいネイルの開発、BP材という製材の工夫など、新しいテクノロジーの展開が今までにない木造を造りつつある。稲山正弘の仕事、山辺豊彦の仕事を見てほしい。とくに私との協働を。

さまざまな現場が課題を承知し必要とするツール、パーツ、工法を次々に生み出す、そんな状況が求められる。そのための「求めるこれからの社会の像」「かたより」の共有が何より必要であろう。建築家エンジニアが見る明日の社会、それはいうまでもなく「持続可能社会」であり、そこにおける建築のすがたではないか。1870年のローマクラブの「成長の限界」からそれは変わることがない。そうした社会をつくることを目指し、さまざまな部品に至るまでの工夫・開発が求められよう。重箱の隅をつつくような工夫が無くては総体は構成できぬ。エンジニアが気宇壮大であり、全体と重箱の隅がつながっていると信じることが何より必要であろう。いま、ここにある建築のための工法・材料・部品はあまりにも「かたより」がない。建築も短寿命の消費財としての存在でしかない。その中で建築家を含めエンジニアの存する意義は薄い。

30年近く前に私の設計した我が家、その窓はアメリカのマーヴィン社のごく普通に流通するサッシである。木製サッシにペアガラスが嵌められている。当時、我が国のサッシにはその高い熱性能を満たすものがなかったためである。先日その交換に迫られ、驚いた。パッキンから障子一枚まですべて交換部材が今も当然のこととして用意されていたのである。このサービスは彼らにとり普通のことなのであろう。技術の「かたより」とは、そんな社会的合意をいつか獲得すること、いつか普通のこととなることを前提とするものであり、それを目指すものであるはずであろう。

ショックという男がいる。ドイツの黒い森で工夫の末、イソコルブという熱橋=ヒートブリッジの問題を解消するパーツを開発した男だ。ステンレス鉄筋と高強度圧縮材を組み合わせ環境性能上問題である建築の内と外の熱伝導の課題解決を果たす。今、EUエリアをはじめ世界各地でサステイナブル社会の建築に、これの採用が必須となっているという。私の言うエンジニアの「かたより」の最適な一例である。

アラップとリューベトキンの最初の協働はゴリラの園舎であった。寒冷なロンドンにゴリラを住まわせ市民に見せる、難問であっただろう。彼らはシェルターを回転させることで夏と冬の二つの状況を作り出してみせたのだった。アラップは初めから環境を仕事とするエンジニアであったのだろう。

エンジニア、研究者は、建築の現場とつながり、結果として社会の要請とつながる仕事である。建築家ももちろん同様であろう。建築が果たす役割は今も大きいはずである。

 

オーエムソーラー ソーラー研 については多数の出版物があるが、2010年季刊環境研究№156特集「世界に伝える日本の環境取組の優れもの」日立環境財団発行 などを参照されたい。